ちゃぷれんの広場

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12月のコラム (2024年12月01日)

〈チャプレンのコラム〉

「わたしたちって人間?」

先日、さくら組のお友だちと一緒に給食を食べていたときのことです。あるお友だちが私にこう質問してきました。「わたしたちって人間?」「先生も人間?」
私は、少し戸惑いながら、「そうだよ」と答えました。というのも、このお友だちの質問の深みを感じ取ったからです。

私たちが人間であることは自明のことであると言えますが、けれども、もし誰かに「あなたは人間ですか?」と質問されれば、「そうです」と答えつつも、もしかすると心のどこかで、「本当にそうなのだろうか」と思ってしまうのではないでしょうか。
その日家に帰って、夕食を食べている時に、妻に「僕って人間?」と聞いてみました。妻からの答えは、「そうなんじゃない(知らんけど)」でした。もし人間でないとしたら、宇宙人?

それはさておき、「私たちが人間である」その確かな証拠があります。それは、お母さんから生まれて来たということです。まぎれもなく私たちは、母親の胎内から、人間としてこの地上へと生まれて来ました。うさぎでもなく、犬でもなく、猫でもなく、人間として、この地上に生まれて来たのです。
けれども、人間としてのこの「わたし」は、自分の意志によって生まれて来たわけではありません。この「人間とは何か」という自己存在の問いに答えていくのが、宗教や哲学の役割であると言えるでしょう。キリスト教では、それは「神さまのご計画」であると捉えるのが、どの教派においても一致した見解です。聖書の中で、使徒パウロは次のように言っています。「神さまが、恵みによって、このわたしを母の胎内から選び分けた。」(ガラテヤの信徒への手紙1章15節)
私たちが人間として、他でもないこの「わたし」として今ここにいるのは、私たちではなく、神さまの恵み、さらに言えば、神さまの「想い」によってなのです。